最高裁判所第二小法廷 昭和31年(あ)2220号 判決 1958年11月21日
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人田村堅三、同西風静子の上告趣意について。
所論第一点は憲法三八条三項違反を主張するけれども所論は原審で主張判断のない事項に関するものであって適法な上告理由とならないのみならず、第一審判決挙示の証拠は所論被告人の自白を補強するに足りると認め得られるから論旨はその前提を欠き採用できない。
同第二点は判例違反を主張するのであるが、所論掲記の大審院判決(昭和八年(れ)第一二七号同年四月一九日言渡、集一二巻四七一頁)の要旨は「詐言ヲ以テ被害者ヲ錯誤ニ陥ラシメ之ヲシテ自殺スルノ意思ナク自ラ頚部ヲ縊リ一時仮死状態ト為ルモ再ヒ蘇生セシメラルヘシト誤信セシメ自ラ其ノ頚部ヲ縊リテ死亡スルニ至ラシメタルトキハ殺人罪ヲ構成ス」というのであり、又次の大審院判決(昭和九年(れ)第七五七号同年八月二七日言渡、集一三巻一〇八六頁)の要旨は「自殺ノ何タルカヲ理解スルノ能力ナキ幼児ハ自己ヲ殺害スルコトヲ嘱託シ又ハ殺害ヲ承諾スルノ能力ナキモノトス」というのであって、原判決はこれらを本件被害者の「心中の決意実行は正常な自由意思によるものではなく、全く被告人の欺罔に基くものであり、被告人は同女の命を断つ手段としてかかる方法をとったに過ぎない」から「被告人には心中する意思がないのにこれある如く装い、その結果同女をして被告人が追死してくれるものと誤信したことに因り心中を決意せしめ、被告人がこれに青化ソーダを与えて嚥下せしめ同女を死亡せしめた」被告人の所為は殺人罪に当り単に自殺関与罪に過ぎないものではない、という判示に参照として引用したものである。してみれば、原判決の意図するところは、被害者の意思に重大な瑕疵がある場合においては、それが被害者の能力に関するものであると、はたまた犯人の欺罔による錯誤に基くものであるとを問わず、要するに被害者の自由な真意に基かない場合は刑法二〇二条にいう被殺者の嘱託承諾としては認め得られないとの見解の下に、本件被告人の所為を殺人罪に問擬するに当り如上判例を参照として掲記したものというべく、そしてこの点に関する原判断は正当であって、何ら判例に違反する判断あるものということはできない。所論はまた前記大審院判例の事案は真実自殺する意思なきものの自殺行為を利用して殺害した場合であるに対し、本件被害者は死を認識決意していたものであり錯誤は単に動機縁由に関するものにすぎないが故に判例違反の違法があるというが、その主張は事実誤認を前提とするが独自の見解の下に原判示を曲解した論難というべきであって採用できない。(なお所論高裁判例は正に本件と趣旨を同じくするものであり、所論は事実誤認を前提とするもので採用できない。)
同第三点は、本件被害者は自己の死そのものにつき誤認はなく、それを認識承諾していたものであるが故に刑法上有効な承諾あるものというべく、本件被告人の所為を殺人罪に問擬した原判決は法律の解釈を誤った違法があると主張するのであるが、本件被害者は被告人の欺罔の結果被告人の追死を予期して死を決意したものであり、その決意は真意に添わない重大な瑕疵ある意思であることが明らかである。そしてこのように被告人に追死の意思がないに拘らず被害者を欺罔し被告人の追死を誤信させて自殺させた被告人の所為は通常の殺人罪に該当するものというべく、原判示は正当であって所論は理由がない。
よって刑訴四〇八条により裁判官全員一致の意見により主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)